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Denmark

縁あって、デンマーク  Denmark and I

このページは、サイト開設時には「Dreams」というタイトルでしたが、その後だんだん現実になってきたデンマークとの縁。
その間に私自身の心境やスタンスも少しずつ変化していますが、ここには当初から少しずつ記事を追加していったものを掲載しています。 
そんなわけで、まだまとまりに欠けますが、徐々に整えていきたいと思っています。
まずは Dreams come true の流れを喜び、助けてくださっている関係者の方々に心からの感謝を捧げます。

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◆ 福祉大国デンマーク ◆

数年前から、ある必然的な事情によりこの国に興味を持つようになり、その豊かで深い精神性に魅せられてきました。
福祉の世界は一般に、当事者になってみないとなかなか知る機会がないものかもしれませんし、現場は本当に多種多様で、必ずしも恵まれているところばかりではないという現実もあるでしょう。私もごく一部にかかわっているだけではありますが、その奥深さや可能性を知れば知るほど、はまってしまう世界という実感を持っています。
これからの日本を思い、自分たちの世代としてできること、次世代につなげてゆけることは何か、そして何より音楽家として何ができるのか。
福祉立国JAPANを夢見て、いろいろな思いをつづってみたいと思っています。 (2014.10.26)

◆ デンマーク大好き、だからこそ…? ◆ 

だからこそ。完全にかぶれてしまってはダメなのだと思います。
 このサイトをご覧になった方はきっと、わぁ、デンマークにハマってる人なんだ、という印象を持たれると思いますので、ちょっと意外に感じられるかもしれませんが、ここが実は大事で、もっとも難しいところなのだと思っています。
惚れたらとことん…それも必要だと思います。でもその一方で、冷静に空から俯瞰できる、もう一人の自分を持つように意識する。そうしないと、足元をすくわれてしまう。本当の信頼関係を結ぶためには、一方的に理想化して寄り掛かるだけでは、いずれ無理が出てくると思うのです。
グローバル化が急速に進み、情報も世界中で共有できる時代がやって来ました。私の印象では、80年代90年代あたりに比べると、海外での日本人についての情報は、近年圧倒的に増え、ステレオタイプな見方もかなり修正されてきたように感じます。そう、思っている以上に日本人は正当に評価されてきている、尊敬されているかもしれないと。
そんな今、それぞれの背景のなかで、このすばらしい福祉大国のあり方を、よくかみ砕いて自分のものにしながら、日本人ならではの貢献でお返しができたらと。そんな気持ちでいます。 (2015.1.27)

◆ 魂の歌って、何だろう? ~音楽家から見た福祉大国~ ◆
  
思いがけないきっかけでデンマークと関わることになりましたが、音楽家として、渡航当初からしっかり意識していたことが一つあります。それは、旅の記事のタイトルにもなっている「魂の歌」ということでした。
福祉大国たるデンマーク、その深い精神性にふれるにつけ、音楽家としては、その心の根っこにどんな音楽、というか音楽の素のような「うた」があるんだろうかと、知りたい思いに駆られました。心の根っこにある「うた」、それを仮に「魂の歌」と名付けてみたらどうだろう。それは、今を生きる私たち日本人と、何かかぶったり、共感できるような響きがあったりするかもしれない。それを、私なりの感覚で料理して、新しい世界が広がったら素敵だな、お互いを面白がりながら、未来を見ていけたらいい。そんな壮大な夢を描き始めたのです。
ところで皆さんは、魂の歌というと、何を想像するでしょうか。「え~、そんなこと考えたことない」という方もたくさんいらっしゃるでしょう。そもそも魂って何だ、とか考え出すと果てしなくなってしまいますから、とりあえずのところ、自分にしっくり来る音楽、体臭のようになじむ音楽ととらえると、どうでしょう。物心ついた時からなじみのある音楽や、もし自分が死ぬ時に、記憶の底から立ち上ってくる音楽があるとすれば、それはどんな音楽でしょうか。
もちろん、日頃音楽にウルサイ方のなかには、これぞ我が魂の音楽、というこだわりを持っていられる方もあると思います。これには個人差もすごく出てきます。日本人ならぜったい演歌に決まってる、いや私はバッハだ、モダンジャズじゃなくっちゃ、クラシックって言ってるけど本音は松田聖子…などなど議論は白熱し、あわや炎上、という世界かもしれません。その一方で、民族や地域に由来する、多数決的な路線もやはり出てくると思います。あんたがたどこさ、のような誰もが育つ過程で歌ってきたもの、そして母親の声で覚えている子守歌のたぐい。そして、感情を揺さぶられた体験と記憶のなかで共にある、思い出の曲、などなど…。
音楽は個人の生きてきた姿に寄り添い、社会を映し出すものなのでしょう。魂の歌。あなたにとって、それはどんな歌ですか? (2015.4.5)

◆ 音楽家から見た 北欧福祉の極意「ノーマライゼーション」◆
 
福祉について、わかりやすく語り、意見交換をするのは、思った以上に難しいものかもしれません。プライバシーの問題がまず大きくあり、さらには差別の問題や、人の生死にかかわることなど、どうしてもシビアな話になってきます。また福祉の世界は、理屈や図式で学ぶというよりは、現場で実体験のなかから感じ取ることでつかんでゆく、本質的にそういうものかもしれません。でもそんな現場感覚を伝えてゆくことが、きっと私達の将来を支える力になるのではないか。このコーナーはそんな気持ちで綴っています。
デンマークの福祉で、極め付けだと思えるのが、このノーマライゼーションの考え方です。例えば高齢になって、心身の自由がきかなくなってきたとしても、或いは障がいを持っていたとしても、それが「不幸」であるとは考えず、その人のその時々でのあり方として受け入れ、サポートしてゆこうという考え方。ある決まった枠組み(普通、健常などの)に入るかどうかで分けるのではなく、状況を受け入れることで、その人らしい生き方を、支援を力にしながら見つけてゆこうというもの。Normalization は、ノーマルにする、本来あるべき形にする、という意味で、時事英語で「国交正常化」という時もこの言葉を使います。
世の中には、福祉について、(不幸な人たちに)上から手を差し伸べることだという誤解も根強くありますが、それでは施す方も受ける方も、よい関係を保つことはできません。では逆に、不幸の反対にある「幸福」って一体何だろうと気になってきます。何が幸せか。それはひとりひとり違うし、年代によっても変化する「主観」の世界です。自分が幸福だと感じることができるか、ということ。デンマークは、この主観的に幸福と感じる「幸福度」調査で、何度も統計上世界一になっている国です。
ノーマライゼーションは、20世紀半ばに、デンマークのバンクミケルセン Neils Erik Bank-Mikkelsen が提唱した、まだ比較的新しいものですが、たとえばこれより約100年前に書かれたアンデルセンの作品などには、この人間観の根っこが垣間見られるものがあります。そんなデンマークの文化や精神性を、音楽家の立場でかみ砕きながら、日本の高齢化社会の意識を支える基盤として成熟してゆくことを夢見て、少しずつ紹介することを始めています。(2015.8.31) --- 2015年7月の主催公演より。

◆音楽で「福祉」を問いかける意味◆

このサイトをご覧になった方から時々、「音楽家にしては珍しく、左脳も使ってるんですね」という種類のコメントを頂くことがあります。音楽家というと、一般にはパフォーマンスで圧倒する世界、という既成概念があるからなのでしょう。ストイックな部分が強調された情報も、多く目にします。
確かに音楽家には様々なあり方があると思いますが、実は私は、音楽という「窓」を通して、広い視野を得たり、柔軟な考え方ができるようになると感じてきました。
音楽は、人の「想い」から出てくるもの。その「想い」とは、例えば喜び、悲しみなどの名前のつく「想い」よりも、もう少し心の深いところにあるもの。音楽を作り、演奏を高めてゆくことは、この「想い」との対話です。
さまざまな想いと出会い、音楽の形にして、演奏者と分かち合い、聴衆につなげてゆく仕事、それが作曲・編曲家の役割なのだと考えています。「想い」にいつもアンテナを張っていると、思わぬところでビビッと反応することがあります。その一つが、福祉大国たるデンマークの精神性でした。長寿大国日本の本当の幸せのために、音楽家としてできることは何か、という風に考えるわけです。(2017.7.2) --- 2017年4月の主催公演より。

◆幸福感の扉を開く「残存能力」という見方◆

福祉に特に興味のある方以外の一般の方々にとっては、もしかしたら福祉の話などは、できるなら、例えば介護の担い手になるなど、それがわが身に降りかかるまでは、なるべく避けて通りたいことの一つなのかもしれません。しかし、北欧福祉の考え方は、施設などの支援の場だけでなく、というよりもむしろそれ以前に、健常な人々の価値観にこそ、大きな力を持っていると私は考えています。
「残存(ざんぞん)能力」。これは福祉の専門用語で、心身のどこかに不自由なところが生じた時に、マイナス面を見るのではなく、その時点で残っている機能や能力についてきちんと評価し、それを最大限に生かしてゆこうという考え方です。よく「コップに水が半分ある。半分しかないと思うのか、半分もあると思うのか。」というたとえが、プラス思考に発想を変えてゆくための導入として使われますが、これと同じ感じです。
デンマークは11~12世紀の頃はイングランドも支配するほどの大帝国だったのに、その後度々の敗戦などで、資源のない弱小国に転落しました。しかしそこから這い上がり、世界一幸福な国と言われるまでに再生・復活できたことの大きな原因は、この「残存能力」を生かすという発想だったと言われます。まずは考え方から。それが人々の幸福感の扉を開くと思っています。(2017.9.22)--- 2017年4月の主催公演より。
 
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デンマークへの旅  On-the-ground research in Denmark

2011年から続けているデンマークへの旅。まずは、紙媒体の通信に掲載してきたレポートの記事をご紹介します。
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--- --- ◆ 福祉大国デンマーク「魂の歌」を探して   [2012]  ◆ --- --- (『ろここ通信』No.84 2012.11 より)
思いがけない縁で(注:ある福祉団体との出会い)、最近すっかり福祉や介護の世界に明るくなってきたと思うのですが、ついに今年は、親しくしている事業者のスタッフ一行と一緒に、デンマークの福祉の最前線を見学する機会に恵まれました。
私は子供時代に病身の家族と共に過ごしたせいか、福祉の世界には前から強い関心を持っていましたが、だからといって、何かその方面の資格を持っているわけではありません。超高齢化社会を目前に、福祉の分野は今まさに切実なニーズがあるはずですが、理念のしっかりしている事業者は、まだごくわずかでしょう。
福祉とは、何も特別なことではなく、なぜ人が生まれてきたか、なぜ生きているのか、これからどこへ行くのか、という根源的な問いに迫る世界だと私は考えます。そして、すべての人がそれぞれの立場で参加し、育ってゆけるものだと思うのです。

(以下は、上の記事の続き。号が変わる関係で、少し記述がダブります。 『ろここ通信』No.85 2013.4 より)
昨年(2012年)、二度目のデンマークでは、最先端の高齢者福祉の現場を見学する機会に恵まれ、お国柄は違っても、人間が「生きる」という原点をしっかり見据えたやり方、その懐の深さを目の当たりにできたことは、貴重な経験でした。
個人主義が成熟した国だからこその福祉大国、という面もありますが、ヨーロッパのなかでは辺境に近い地理的条件を生き抜いてきたデンマークの人々は、誇り高くても決して奢らず、日本からの見学者を、共に歩む同志として、むしろ敬意を持って迎えてくれたことは、少々驚きであり、なるほど、これが北欧のすごさなのかな、と思ったりしました。

--- --- ◆福祉大国デンマーク「魂の歌」を探して   [2013] ◆ --- ---   (『ろここ通信』No.87 2014.4 より)
コペンハーゲンで、ドタバタ喜劇仕立てのオペラ(ヴェルディの『ファルスタッフ』)を観て、まるで綾小路きみまろの漫談を楽しむようにゲラゲラ笑うデンマークの老女たちに圧倒されたあと、デンマーク第二の大都市オーフスAarhusを訪れました。
オーフスは、フルートの編曲作品でも取り上げている作曲家シュッテ L.Schytte の出身地です。…市内には、デンマークの古い時代の風景を再現し、保存しているオールド・タウンという人気のスポットもあり(写真3)、アンデルセンの時代の、貧富の差歴然とした生活ぶりが、デンマーク人らしい合理性に基づいた、効果的な手法で展示されています。今や、国連の幸福度調査世界ナンバーワンのデンマークですが、このような、正史に書かれていない劣悪な状況を克服してきたのかと思うと、言葉を失う思いでした。
さらに今回は、現地在住の日本人コーディネーターにお世話になり、オーフスから南に約40キロ下がったところにある、デンマークを象徴する教育機関「フォルケホイスコーレ」(国民高等学校:成人教育のための寄宿制の私立学校)の一つを見学。障がい者と健常者が共に生活し、学ぶという、デンマークでもユニークな現場で、13名の若い日本人留学生と共に、日本からの独立行政法人の方々の研修プレゼンを聞き、現地の障がい者にインタビューさせて頂いたり、一緒にお喋りしながら食事をしたり…などなど。
もちろん本業の音楽の調査も収穫があり、楽しい一日となりましたが、究極のバリアフリーは、やはりまず「心」から、という考えを実践している世界は、まさに圧巻。現地だからこそ伝わってくる感覚を味わうことができ、またとない経験となりました。

 --- --- ◆福祉大国デンマーク「魂の歌」を探して[2014]◆ --- ---  (『ろここ通信』No.89 2015.4 より)
 
デンマークを象徴する、成人教育のための私立学校フォルケホイスコーレ では、長年の伝統として毎日使われているコンパクトな歌の本 ホイスコーレ歌集 というのがあり、渡航前から私はこの内容に非常に興味を持っていました。昨年の調査では、この本の編纂メンバーのお一人で、ホイスコーレ社会での中心的役割をされている、エアリング・クリスチャンセン氏 (Erling Christiansen)に、インタビュー取材をする機会に恵まれました。
歌の好きな民族といわれるデンマーク人。デンマークでの歌の役割と歴史、そして現在の状況や将来の展望まで、情熱的に語ってくださった二時間。「歌集の音楽的な面に注目した外国人には初めて会った、実に300年ぶりのことだ (注:歌集として編纂されたのは、19世紀末からだが、はるかに古い時代の歌も入っていて、それらに関心を示した外国人が昔いた、という意味のよう。)」と、来訪を歓迎して下さり、こちらも大いに背中を押される思い。
なかでも、フォルケホイスコーレの礎を築いた、「近代デンマークの父」グルントヴィ
の話は圧巻で、歌の歌詞をたくさん書き、民衆の中の歌のあり方を牽引してきたグルントヴィは、韻を踏んだ歌詞のリズムは上手なのにも関わらず、いざ歌となるとうまく音が取れず(つまりは音痴)、全く一緒について歌えなかったと聞き、本当に驚きました。これはつまり、音痴でも気に病まずに、歌の世界へ入ってこいよ、ということ。音楽家にとって、示唆の多い事実であり、福祉の世界でいう「ノーマライゼーションnormalization」と密接にかかわる深い意味を持っていると、考えさせられました。
(写真4は、コペンハーゲンから30分弱のところにある、 ルイジアナ現代美術館 のカフェ。海に面したロケーションは抜群で、難解な現代美術も、こんなところでゆっくりしていると、自分の感覚にしっくりなじんでくる気がする。)                                                                                    
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(写真1)クリスマスの妖精「ニッセ」のモビール
(写真2)オーデンセのエルダーフラワー(ニワトコの花)のソーダ Elderflower Soda /Odense
(写真3)オーフスのオールドタウン Den Gamle By(Old Town) Aarhus
(写真4)ルイジアナ現代美術館 Louisiana Museum for Moderne Kunst

デンマークへの旅(2)

 --- --- ◆福祉大国デンマーク「魂の歌」を探して[2015]◆ --- ---  (『ろここ通信』No.91 2016.4 より)

デンマーク発祥の地ともいわれる、ロスキレRoskilde の地は、コペンハーゲンが拓かれる前に、王族の拠点があった場所。先祖であるヴァイキングたちは、このロスキレ・フィヨルドの港から船を出して、様々な海を巡って商才を磨きながら、交易を広げました。ヴァイキング船を復元して、実際に係留している博物館もあるのですが、思いのほか小さな船もあって、ちょっとびっくり(写真1)。
ヴァイキングが伝え、持ち帰ったもののなかには、きっと各地の音楽も含まれていたはず。それらはきっと、大半が口伝えで、記憶に残ったものだけが生き残り、普通の庶民が口ずさんだり、職業的な音楽家たちのレパートリーになったりしながら、いつしかおなじみの歌になるのでしょう。デンマークの愛唱歌を調べていると、そんな先祖たちの、歌に対する活発な思いが伝わってくる気がします。陽気で歌の好きな民族といわれるデンマーク人の歌を訪ね始めると、はてしない時空の森に迷い込みそうになりますが、今回は歌の得意な精鋭グループである、国営ラジオ局が主宰する若い女性だけからなる合唱団 DR PigeKoret (←英語版ホームページにリンク) を取材。前回取材した、民衆のためのアマチュア合唱とは、ある意味対極にある世界は、実際のところどんな感じなのだろうと思い、コーディネーターTさんと共に、練習風景にお邪魔しました。
素直な発声で、本当に自然体で自分の声と向き合っている印象。しかるべき誇りをもって音楽に取り組んでいるのに、技術への力みは全く感じられず、歌の資質に恵まれた人たちが、自然に集まってきている感じ。この感じが、指揮者フィリップ・フェーバーさん(Phillip Faber)も大切にされているデンマークの「歌文化」かと、少し圧倒されていると、最後に私をピアノに座らせて全員で囲み、デンマークの「心の歌」投票で1位になった歌「デンマーク、わが祖国」 Danmark,mit fædreland(アンデルセンの歌詞。第二の国歌ともいわれる)を歓迎の気持ちで歌います、というので、小さく出だしを私がピアノで弾くと、「知っているのか!」と大喜び。彼女たちのア・カペラの演奏には、成人になる直前の声にしかない独特のピュアな色気があり、心のこもったサプライズに、思わず目の前が涙でかすんでしまいました(写真2:左端がフェーバー氏。)。

 --- --- ◆福祉大国デンマーク「魂の歌」を探して[2016]◆ --- ---  (『ろここ通信』No.93 2017.7 より)

今までなかなか訪ねる機会のなかった、北欧文化発信地コペンハーゲンの「旬」の顔。今回はまず、それを肌で感じてみたくて、町の注目エリアを訪れてみました。海に近いクリスチャンハウン地区には、北欧発の食の革命の担い手として世界が注目するレストランnoma(ノマ)や、ヒッピーによる自治コミュニティー「クリスチャニア」があります。今や予約の最も取れないレストランnomaの外観は、意外にもちょっと和風なロックガーデンで飾られていてびっくり。
また、中央駅から広がる下町地区にあたるヴェスターブロは、コペンのソーホーと呼ばれる、アーティストが多く住む町(写真3)。北欧らしい趣味の良い雑貨やインテリアのセレクトショップが点在していて、堅実で質素なデンマーク人の気質の上に花開いた北欧デザインという図式が、その佇まいから感覚的につかめる気がします。何が本当に必要なのか、どう生きたいのか。百人百様のライフスタイルをがっちり受け止めて、サポートしてくれるような、この町にみなぎる独特の安堵感は、不思議ですらあります。
   今回のメインは、デンマーク南西部ユトランド半島にある、デンマークで一番古い町 Ribe リーベ。中世の街並みを保存した旧市街は、アンデルセンの生地オーデンセにも似ていて、さらに「濃い」感じがします(写真4)。「デンマークを知りたいなら、絶対リーベに行って!」という、オーフスでお世話になったコーディネーターの一言が忘れられなくて、コペンハーゲンから電車を乗り継いて約3時間で到着。その日の夕方には、快晴で空気の澄んだ夕暮れにしか見られない「ブルー・モーメント」という、あたりが幻想的なブルーに染まる現象に遭遇し、まさに時空を超越した世界に迷い込んだよう。
   リーベには、昔夜警がいたことで知られていて、今も観光用に夜警さんによる夜のガイドツアーがあります。お目当てはもちろん、町の警備や市民生活の諸々の役目を担っていた夜警が、石畳の町を巡回しながら夜な夜な歌った歌を、生で聴くこと。生活の必然と共にあり、人々の意識の奥深くに染みついていたであろうその歌。当時の町そのままの寸法と音の響きの中での夜警の歌は、少しもの悲しく、時にユーモラスで、波乱万丈の歴史をたくましくダイナミックに生き抜いてきたデンマークの人々の想いを語る夜警ガイドの口ぶりには、静かな自信と誇りがにじみ出ていました。
(夜警の歌を織り込んだ新作 ♪Blue Moment in Ribe を、2017年4月の主催公演で初演しました。)
                                                                                                    
 
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(写真1) ロスキレのヴァイキング船博物館
(写真2) DR PigeKoret 少女合唱団の練習風景
(写真3) コペンのソーホーと言われる下町地区ヴェスターブロ
(写真4) デンマークで最も古い町リーベ

デンマークへの旅(3)

 --- --- ◆福祉大国デンマーク「魂の歌」を探して[2017]◆ --- ---  (『ろここ通信』No.95 2018.8 より)

デンマークの歌文化を訪ねる取材、今回はデンマーク人が個人の記念日に歌う「替え歌」がテーマ。Selskabs sang(セルスケーブス・サング)と呼ばれるこの歌は、きりのいい歳の誕生日や、結婚式などのプライベートな集まりの場で歌われます。例えばAさんの50歳の誕生日を祝う会なら、出席者全員が良く知っている歌いなれたメロディーに、Aさんのそれまでの人生の出来事を盛り込んだ歌詞をつけて、その場で皆で歌い、Aさんの生きてきた世界を分かち合うというもの。歌詞は当日渡され、前もっての練習はなく、上手な人によるデモ演奏などもなく、いきなり全員でぶっつけで歌うというスタイルです。この条件で、必ず全員が歌えて、歌の世界を理解できることが何よりも優先されます。音は少し外れてもいいけれど、とにかく全員が歌うのについてこられなければダメなので、テンポはゆっくり目。この、参加して唱和し歌の世界を分かち合うことに最大の価値があるというところが、とてもデンマーク的と言えます。つまり、自発的にコミットして、その世界を皆でシェアすることによって、会の主
役をリスペクトするという精神です。うまく歌えることよりも、歌というツールでつながることの大切さというのか。

以前からこの歌に興味を持っていた私は今回、替え歌の歌詞作成を仕事として請け負っているコピーライターのラウ・イスホイ Lau Ishøjさん(写真 1)にお会いして(通訳入り)、お話を伺うことができました。大手日刊紙の記者をはじめフリーランスとして外国駐在歴も長くある、筋金入りのジャーナリストとして活躍されてきたイスホイさん。デンマーク的なちょっと塩気の効いたユーモアやアイロニーで味付けされたイスホイさんの歌詞は、いつも会を和ませ、とても評判がよく、口コミで引っ張りだこだといいます。綿密な事前のヒアリング取材を大切にするイスホイさんの態度は、ジャーナリストとしての信念と誇りに裏打ちされているものであり、誰もが持っている「自分をわかってほしい」という想いを絶妙なバランス感覚で実現させる技量は、深い人間愛に根を張り、また優れた音楽性もお持ちなのだと納得しました。
私的な場で歌われるものなので、実際の歌唱には立ち会えませんでしたが、またデンマークの奥深さを知ったと大感激していると、澄んだ青い目をまん丸くされて「なぜ遠い日本に住んでいるあなたが、このような歌に興味を示されたのですか?」と質問されました。デンマーク人にとっての「常識」に驚いた私。でも実はこれが、異文化に学ぶキモなのでしょう。
(写真2は、イスホイさんのお住まいのある、コペンハーゲンのベッドタウンTaastrup の家並み。)

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◆福祉大国デンマーク「魂の歌」を探して[2024]◆ --- ---   NEW!!

長かったパンデミックを経て、5年ぶりにコペンハーゲンの空港に降り立った時、最初に感じた「デンマークの匂い」。ああ、帰ってこられた、と胸がいっぱいになりました。
2018年のクリスマスから実験的に始まり、少しずつ歩みを進めていたデンマークの作家とのコラボ企画は、予期せぬパンデミックを乗り越えて、作詞家のラウ・イスホイ
Lau Ishøj さんとついに5年ぶりの再会。2017年にデンマーク独特の「替え歌文化」(上記参照)について取材をさせていただいたイスホイさん。その取材は、大手新聞社の記者を長く勤められ、ポルトガルやアジア各地での駐在経験も豊富なジャーナリストとしての氏の心意気にふれる機会となり、日本のジャーナリズムしか知らない私の認識は一変しました。欧州のトップクラスのジャーナリストとはこういうものかと、その志の高さに魅了された私は取材のあと、驚くことに、心の奥底に秘めていた願いを口にしてしまったのです。「私の音楽に歌詞をつけて頂けませんか」と。イスホイさんは、私がデンマークのかなりディープな部分である替え歌文化に関心を寄せたことにとても感激された様子で、私の思いに応えたいという気持ちを示されました。
音楽は「ニワトコの木の下で」という歌の曲(2011年)のメロディー部分です。これは亡き母が8年半お世話になった高齢者福祉団体の社歌として寄贈したもので、この施設がデンマーク福祉をモデルとしていたことが、デンマークとの出会いにつながったのです。デンマークの人間観・人生観に深く感銘を受けた私は、その音楽の姿を追い求め、デンマークとのハイブリッド作品を作ることで音楽家として恩返しができたらと、かねてからずっと心に抱いていました。詞ばかりでなく、音楽の部分も実はハイブリッドになっていて、デンマークでは忘れられた存在に近いL. シュッテの「ニワトコおばさん」というピアノ曲の一部を、歌のサビの部分に借用しています。本国での復活・再認識につながることを期待して、です。
コラボ企画は、いくつかの試作を経て、2022年に子守歌版の「甘い夢」が完成。そして今回、イスホイさんは新たに「クリスマス・ソング」という出来立ての歌詞を携えて、再会の場に現れてくださり、さすがは替え歌作家だなと思った次第です(写真3 イスホイさんの出来立ての歌詞と共に)。
思えば、最初は右も左も分からず、ただただ行ってみたい思いで訪れたデンマークでここまで来られたのは、2011年からお世話になっているデンマーク語通訳兼コーディネーターの田口繁夫さんのご尽力あってのことです(写真4 田口繁夫さん 2011年撮影)。最近はイスホイさんとは英語を使って直接やりとりをしていますが、田口さんにはほんの短い時間でも私たちと時間を共にして頂きたくて、今回もお会いして、パンデミック中の様子など伺うことができました。
アフター・コロナのデンマークの今後を楽しみにしながら、これからもご縁を育てて行ければと思っています。

(写真1) たくさんの資料を前に取材に応じるイスホイさん。Taastrupにて。
(写真2) 郊外の住宅地Taastrupの風景。穏やかな家並みが続く。
(写真3) イスホイさんと5年ぶりの再会 コペンハーゲンにて
(写真4) 田口繁夫さん 2011年 コペンハーゲンにて
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