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Field work

フィールド・ワークについて   Talking about my field work

音楽の生まれた場所や、曲にゆかりのある地方を訪ね、土地のかもしだす「何か」を肌で感じながら、必要に応じてインタビュー取材なども行うフィールド・ワーク(実地調査)。
私にはとても大切なことだと、特に最近強く感じています。自分の中にある音楽に力を与え、裏付けてくれるように思えるからです。

★なお、フィールドワークの詳細については、直近の情報を、トップページの下段  ♪♪  Field work Praha (Prague)  (Czech Republic) ♪♪ のコーナーで、写真と取材コメントを随時更新しながら掲載していますので、ぜひそちらもご覧ください。 → ここをクリック!

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    - - - - - ✈ 地図が好き 現地調査 Field work は準備が勝負! - - - - - ✈ (『ろここ通信』No.85 2013.4  より)
仕事柄、ネタ探し取材は必須ですが、その手の調査は海外でも、基本的に単独行動が多いです。若者のバックパッカーみたい、と驚かれる方も?もちろん、自分の身を守ることは最優先で、準備段階から細心の注意を払います。
情報はできる限り集めるので、直前につい詰め込むことになりますが、行く前に体力を使い切らないようにというのも大事なところ。
デンマークは英語が通じるので、私はお世辞にも上手いとは言えませんが、これはやるしかない。世界共通語の生きた言葉として、生きるために、身を守るために、もう必死です。
欧米人は、あまり干渉しないので、気楽ではありますが、きちんと自己主張するテクニックも重要。しかし、やはり現地在住の日本人通訳(デンマーク語)兼コーディネーターのTさん夫妻がいてくださることは、心強いことこの上なく、現地でないとわからない情報や、移動の際の細々したことや、行動のコツをアドバイスして下さり、本当に助かります。
地図が好き、歩くのが苦にならない、そして疲れたら無理をしないで、その日の風に任せる。
思えば音楽家には旅がつきものであり、10代の学生の頃、民謡採取のフィールドワークで鍛えた経験も、今役立っているのかなと思います。

     - - - - - ✈ ツアー♪とフィールドワーク - - - - - ✈
 音楽家には旅がつきもの、という感覚は、一般社会の人々にはちょっと想像がつきにくいもののようですが、音大生の頃から「ビータ」(業界の隠語で「旅」の逆さ読み)なんて言葉をさっそく覚えて、本当に皆よく移動しているというのが現実でしょう。楽器や楽譜をかかえてあちこち移動するのは、ある意味体力勝負の世界。必然的に楽しみは食べることに向かいます(!)。一見優雅に見える音楽の世界からはちょっと想像もつかないような、男っぽい「バンカラ」に近い世界かもしれません。
でも、本番で最高のコンディションにもっていく自己管理は、まさに命綱で、集合時間厳守の世界。だから旅先でも、いわゆる観光地で遊ぶというような、時間と気持ちの余裕はないと言えます。ホテルと仕事場の往復、それが仕事だといえば、他の業種も同じかもしれませんが、やはり訪れた土地の情感、人々のたたずまいなどは、短い時間でも感じ取って、本番で少しでも密度の濃いふれあいができたらと、思ってきました。その土地こそが、その時に私たちの音楽が存在する「場」だからです。 移動して、本番までの短い間にその土地から「何か」を嗅ぎ取る感覚を、私は「育ての親グループ」から、身体で教わった気がしていて、それがまた、現在のフィールドワーク、つまり自分の目で土地と向き合い、人と触れ合うというしごとにつながっているのだと思っています。 (2015.3.18)

     - - - - - ✈ ふだん着の音楽に耳を傾ける - - - - - ✈  
 旅先で、へぇ~と思うことの一つが、町で何気なく流れている音楽です。お店のBGMや、ストリート・ミュージシャンの奏でる音楽。その傾向は、土地の素顔を映していることが多いと思うからです。
 海外では、なるべくその土地の華僑のお店(中国料理)や、すし店に、一度は行ってみることにしているのですが、コペンハーゲンのとある中国料理店で流れていた音楽で、驚いたことがあります。中国の二胡などの民族楽器でメロディーを取るスタイルの、中国系の大衆音楽がほとんどなのですが、しばらくすると、日本の演歌「北国の春」が流れてきました。へぇ~、結構決まってる、中国の歌にも聞こえるなぁ、とニヤニヤしていると、そのうち、聞いたことがある曲だけれど、えーと何だっけと思ったら、それが童謡の「里の秋」だとわかって、これにはびっくり!確かに音階は、中国のよくある路線とかぶるけれど、微妙な歌いまわしとサウンドのせいで、曲の情感が全く変わってしまうので、すぐには気付かず、これは日本人には思いつかないアイディアだなぁと、ちょっと感動でした。(2015.8.16)

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★イギリス&デンマーク 2014 (『ろここ通信』No.88 2014.11  より)
 9月下旬から、約2週間ロンドンとデンマークでフィールドワーク。
ロンドンでは、編曲作品の舞台となった場所を探訪しながら、今のイギリスの音楽シーンを体感。また、主要な音楽大学二校で楽譜(ムラマツ・オリジナル・シリーズNo.41)を所蔵して頂きました。
やっぱりイギリスってすごい!文化の深みに圧倒される思いです。
 4度目の訪問となるデンマークでは、コペンハーゲンとその近郊へ。世界遺産クロンボー城のある ヘルシンオア Helsingør へは、コペンハーゲンから約一時間で着きます。海に囲まれたお城の前には狭い海峡が横たわり、海の向こうには快晴の空の下、お隣のスウェーデンがくっきり!クロンボー城は、シェイクスピアの「ハムレット」の舞台で知られています。
小さな大国デンマークの「魂の歌」をさぐる旅、今回は貴重なインタビュー取材に恵まれたほか、思いがけない再会もあって、人のつながりの不思議さを感じながらの旅でした。
(2014年のデンマーク取材については、Denmark のページ 「デンマークへの旅」のコーナーでご紹介しています。→(ここをクリック) 
 
                                                                                                                    → → → トップページへ To the front page 

フィールドワーク 私のお手本 A Sterling Example for my F. W.

音楽とフィールドワーク  本のお知らせ 

私の大学時代の恩師小泉文夫先生の肉声をご記憶の方は、たぶんある年代以上の方でしょう。世界中の音楽を現地取材(フィールドワーク)し、たくさんの生の情報で人々を新たな世界にいざないながら、その一方で音楽と人間の本質的なかかわりの意味を、わかりやすく楽しく、包み込むような話し方で語り続けた小泉先生は、56歳の若さで早世されました(1983年)。その存在と功績を今もなお惜しむ人々は多く、その期待に応えるかのように、没後40年を前に、子どもから読めるスタイルの伝記が出版されました。


★「音楽家の伝記 はじめに読む一冊 小泉文夫」★
  ひのまどか 著 (ヤマハミュージックエンターテイメント刊 税込\1,760 / 2022.4.10刊)

ひのまどかさんのこのシリーズは、旧版の「作曲家の物語シリーズ」(リブリオ出版 刊)の頃から大ファンで、私にとって大切な導きとなってきました。
元々演奏家(バイオリニスト)でいらしたひのさんの、丁寧な現地取材による音楽家の伝記は、どんな巨匠をも、血の通った人間らしい心を持った存在として、まるですぐそばにいるかのように生き生きと描かれていて、音楽と共に生きるってこういうことなんだ、と心から納得し、共感できるものになっています。演奏家から転身されて音楽作家を志し、小泉先生に師事された経緯はこの本に詳しく書かれていますが、彼女の仕事はまさにクラシック音楽版の小泉フィールドワークだと心揺さぶられた私は、最上のお手本を得た気持ちになりました。
彼女のお名前は、小泉先生の奥様から何度か伺っていましたが、著作に大感激してからは、あるイベントで毎年お会いする機会があることがわかり、愛読者であることをカミングアウト。その後図々しくも、「ひのさんの語り口でぜひ、小泉先生の伝記を…」と密かにリクエストしたのは、かなり前のことだったと思います。旧版が絶版になり、ぜひどこかで復刊をと、これまた図々しくも唱え続けていたのですが、近年続々と復刊を重ね、ついにこのたび書き下ろしで小泉先生が登場されることとなりました。
小泉先生が生きた時代、つまり民族音楽がまだあまり知られていなかった頃とは、音楽の情報量は大きく変わりましたが、音楽は人間にとって単なる趣味や娯楽ではなく、生きることそのものの根源と結びついていることを、熱意と人間愛をもって穏やかに語り続けた小泉先生の生涯は、時を超えて今の若い世代にも、心に響くものがたくさんあることと思っています。
 (注目!)この本では、IT時代にふさわしくQRコードが掲載されていて、スマートフォンで読み込むと、実際の楽器の音を聴くことができるように工夫されています。
(2022.8.13)

フィールド・ワーク (海外編) Overseas

そうなったら素敵(メドレー「ウェディング・ブーケ」より) ロンドン(コヴェントガーデン)   (イギリス)  

Wouldn't it be lovely? (The Wedding Bouquet~Medley for a wedding ceremony)   London ~Covent Garden~ (United Kingdom)
Composed by Frederick Loewe/ Arranged by A.Nanase (3Flutes)  MOS No.29

ミュージカル「マイ・フェア・レディー」は、粗野な育ちの花売り娘イライザが、言語学者ヒギンズ教授の教育を受けて、見事なレディーに花開く物語。
この曲は、イライザがある予感と共に、素敵な未来を思い描くシーンで歌われますので、メドレーでも、出会いと予感の場面という設定になっています。舞台や映画でたくさん上演されてきたこのミュージカルですが、何と言っても、オードリー・ヘプバーン主演の映画を思い浮かべられる方が、多いのではないでしょうか。
映画のロケで実際に使われた、コヴェントガーデンの市場は、別の場所に移転したようですが、オペラハウスの裏手に当たるこの地区は、現在も新たな商業地区となっていて、趣向を凝らした店が並んでいます。教会の前の石畳で、大道芸人が曲芸を披露する様子からは、当時の雰囲気が伝わってくる感じがあり、花屋さんも何となくイライザを意識しているよう。イギリスらしい綺麗なお花のハンギングバスケットも街路に飾られていて、雰囲気抜群です。 (2014.12.9)


マンマ ナポリ(南イタリア カンパニア州)


Mamma   Napoli (South Italy:Campania)
Composed by C.A.Bixio/Arranged by A.Nanase (3Flutes) MOS No.53

・・・10月下旬にカンツォーネの故郷ナポリを訪れ、地元ガイドのお世話になりながら、新旧のナポリ音楽事情をリサーチ。

ギリシャ・ローマ時代に端を発し、歴史の荒波に翻弄されながら、今なお貧富の差歴然たる街並み。イタリア第三の大都会でありながら、村のように緊密な人間関係を保つ、そんなナポリには何とも底知れない魅力があります。
民俗音楽の多くにみられるように、カンツォーネの源は、貧困層の厳しい暮らし向きへの嘆きや、慰めのために、魂からこぼれ出てきたような、生きるために必然の「うめき」に似たものだったのかもしれません。それが口伝えに広まり、淘汰され磨き上げられて、カンツォーネばかりでなく、「歌の王国イタリア」に熟していった…そんな感じが、現地の人々の生々しい息遣いから垣間見られた気がして、震えるような感動でした。
宿泊したサンタ・ルチア地区は、「ナポリを見て死ね」のことわざを生んだ、地中海とヴェスヴィオ火山の絶景がすぐ目の前に広がるスポット。
レストランの歌好きのウェイターや、物乞い風の歌のおじさんに、「マンマ」の冒頭をイタリア語で歌いかけると、「あんた、ナポリのカンツォーネが好きか?」と笑顔になり、本当に嬉しそうに一緒に歌ってくれて、幸せでした。(『ろここ通信』No.86 2013.11 より) 


グリーグのゆりかごの歌, 春に寄す  ベルゲン(ノルウェー南西部)  
  At The Cradle, To The Spring   Bergen(Southwest Norway)
Composed by E.H.Grieg/ Arranged by A.Nanase (2Fl/3Fl)  MOS No.35

ベルゲンは本当に素敵なところ。フィヨルドの地形のため、陸地でも道の両側に切り立った丘の斜面が迫り、そこに家がはりつくかのようにたくさん並んでいるのが見えます。暗くなるとそこに灯がともり、その夜景は本当にすばらしいもの。世界遺産にもなっている、可愛らしい木造の倉庫群が並ぶベルゲン港には、大きな魚市場もあり、潮の香にのって港の庶民的な情緒漂う光景が広がり、夜ともなると下町っぽさは活気を増します。デンマークで会った、ノルウェー人の若い女性に「私はベルゲンが大好き。ノルウェーの人々は、ちょっとウェットな感じがあって、そこが日本人と近く感じて、ノルウェーが好きになりました。」と言ったら、とても真剣な表情で、心からの喜びを表してくれて、別れ際には長い間握手をし続けてくれました。
音楽には、土地の匂いや温度湿度のような、身体全体で感じるものが、どこかに含まれているように思えるのはこんな時です。ベルゲンについては、こちら<Gao Forever!>(2)(3)もご覧ください。 (2014.12.9)


みにくいアヒルの子  オーデンセ(デンマーク フュン島)
 
 
The Ugly Duckling [from"Fairy Tales"]   Odense  (Denmark Fyn Island)
Composed by L.Schytte/Arranged by A.Nanase  (2Fl) MOS No.44

・・・アンデルセンの生地オーデンセへは、首都コペンハーゲンから特急インターシティーに乗って一時間あまりで着きます。オーデンセの歴史保存地区には、本当に童話そのままのような美しい街並みが広がっていて、旅人の目を楽しませてくれます。ところが着いた日の夜から、折からの嵐。晴れ女を誇っていた私としたことが、翌日はあわや終日ホテル待機か、と思いきや、昼過ぎから雲が切れて、陽射しが広がり始めました。今だ!と飛び出し、目指す町並みとその一角にあるアンデルセン博物館へ。夕方から再び嵐となり、ほんの2時間あまり楽しめたオーデンセでしたが、キュートな童話のキャラクターの奥に息づく、アンデルセンの深く鋭い人間洞察の世界は、この町独特の芳醇な空気感のなかに、垣間見ることができた気がしています。(『ろここ通信No.83 2012.4 より)
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ナポリ Napoli Oct. 2013
オーデンセ Odense Nov. 2011
ベルゲン (フェスト広場から家並みを望む) Bergen Nov.2011
コヴェントガーデン(ロンドン)の生花店 London (Covent Garden) Sep. 2014

フィールドワーク (海外編2)  Overseas 2

ロンドンデリーの歌 ほか (メドレー 英国・アイルランド民謡編より)     タラの丘(アイルランド レンスター州) 
  

 Endress Medley ~from British and Irish Folksongs   Hill of Tara (Ireland; Leinster)
[Londonderry Air ~The Foggy, Foggy
 Dew ~Scarborough Fair ~Water Is Wide ] (Nanase) (2Flutes) MOS No.41

 ケルトの聖地タラの丘。紀元前のはるか昔、アイルランドにやってきたケルト人は、タラの王を中心としてこの地で繁栄しました。絶対的な権力を持つ王による支配体制というよりは、王は心のよりどころという意味合いが大きかったそうです。そんな社会形成を好むケルト民族だからこそ、移民で世界各地に散ってもたくましく団結して、その存在感を放ってきたのでしょう。そんなアイリッシュの心の故郷がここタラの丘。丘の片隅にひっそりとたたずむ墓碑の前に立つと、複雑な歴史に翻弄されながらも強く生き抜いてきたアイリッシュの心、名もない普通の人々のたくさんの思いが伝わってくる気がします。
タラは、緩やかな丘陵地帯の一角にありながら、何だかこの一帯だけは天に向かって透明な筒が通じているかのような、何となく天に吸い込まれそうな感覚がよぎる場所です。ちょうど、宮沢賢治が『銀河鉄道の夜』のインスピレーションを得た小岩井農場(岩手県)にも、こんな感じの場所があったなと。
朝霧立ち込めるアイルランドの夜明け。それは濃いスミレ色のなか、草木のシルエットが少しずつ現れてきて、ほんの数分間の出来事ですが、息をのむほど美しくあやしく、ケルトの妖精伝説の世界は、ある意味写実なのだと思いました。(2015.11.21)

妖精メドレー (ピクシーズ~妖精のいたずら)     パース (イギリス スコットランド)

Medley of Faries(Pixies~Elfin Pranks)  Perth (Perthshire; Scotland; UK)

Composed by W.Gillock/ Arranged by A.Nanase (2Flutes) MOS No.18 

ジャズやポップスの感覚があって、品が良くお洒落なピアノ小品をたくさん遺した、アメリカの作曲家ギロック(1917~1993)。そのルーツは、スコットランド系と言われています。読書家で才人として知られたギロックは、様々な物語の世界も、内なるイメージの中にたくさん蓄えていたのだと想像します。ギロックによく登場するファンタジーのような題材にふれる時、やはりそのルーツであるスコットランド地方に思いを馳せてしまいます。

ここパースは「スコットランドの心臓」と呼ばれる古い町で、13~15世紀の頃は、スコットランドの首都として栄えていたそうです。小さいながら品格があり、しっかりしたコンサートホールもある町。市街地の東側を流れるテイ川にかかる、美しいアーチ橋のパース・ブリッジを渡ると、そこはもう人々の普段の生活の場。そんな民家の庭の片隅で、ふと出会った場所には、何だかさっきまで、妖精がいたような気がして...。(2016.10.31)

マダム・バタフライ奇想曲           ミラノ(北イタリア ロンバルディア州)

 Capriccio on "Madama Butterfly" from Japan     Milano (North Italy;Lombardia)

Composed by G.Puccini/ Arranged by A.Nanase  (2flutes and Piano)  MOS No.65

プッチーニのオペラ『蝶々夫人』の舞台はもちろん、明治初期の長崎ですが、オペラの初演は20世紀初めの1904年、ここミラノにあるスカラ座で行われました。プッチーニはこの初演に自信満々だったにもかかわらず、ブーイングの嵐に見舞われ、歴史に残る大失敗だったという逸話が知られていますが、その理由については諸説あり、陰謀説などもあるようです。
スカラ座はミラノの街の中心部に位置していて、この写真のミラノ中央駅(チェントラーレ)から地下鉄で4駅目のドゥオーモで降りて5分ちょっと歩いたところにあります。世界的オペラの聖地にしては、その外観は意外なほど地味で、街並みに溶け込むようなつつましさを漂わせています。劇場近くにある、町のシンボルといえるドゥオーモやガラス天井のアーケード「ガッレリア」辺りは、人気の観光スポットで、世界中の旅行者で賑わう「今」がありますが、この中央駅(世界一美しい駅舎といわれる)のどっしりとした造りには、長い歴史を耐え抜いてきたこの地の重みや格式を感じ取ることができます。(2018.8.26)

エリーゼのために            ウィーン(オーストリア)
 "Für Elise"       Vienna (Austria)  
Composed by L.Beethoven/ Arranged by A.Nanase (3flutes)  MOS No.44

ベートーヴェンが34歳から45歳まで暮らしたという、ウィーンの中心部にある「パスクァラティ・ハウス Pasqualatihaus」は、集合住宅の5階 (4 Stock) にあります。この部屋で、「エリーゼのために」を書いた (1810年) と言われていますが、生涯に70回くらい転居を繰り返したというベートーヴェンにしては、比較的長く腰を落ち着けた場所といえるのではないでしょうか。

ウィーンの魂といわれるシュテファン寺院や、華やかなハプスブルク家の王宮までは、ここから徒歩10分圏内。すぐ近くには当時からあった名門ウィーン大学や、美しい尖塔が目を引くヴォティーフ教会があります。今もたくさんの学生や知的な雰囲気の人々が行き交う街並みの、ちょっと小高くなっている場所に建つアパートメントの入口から、石のらせん階段を上ると、この家に着きます。ベートーヴェンは、ここを一段一段踏みしめて通ったはず。壮年期のベートーヴェン、もう聴力を失っていた時期、どんな思いを抱えていたのかと考えると、何とも言えない気分になります。(2019.2.23)

タラの丘 Hill of Tara Sep.2015
パースの庭 At a garden in Perth; Sep. 2016
ミラノ中央駅前 Milano Centrale; Oct. 2013
パスクァラティ・ハウス Pasqualatihaus; Dec.2018

フィールドワーク( 海外編3) Overseas 3

月に寄せる歌(歌劇「ルサルカ」より)  ヴィシェフラド(プラハ郊外/チェコ共和国) NEW!!

Song to the Moon from Rusalka  Vyšehrad (Praha / Czech Republic)
Composed by A. Dvořák/ Arranged by A. Nanase (3Flutes) MOS No.71

プラハの町はわりと小ぢんまりしていて、中心部であるプラハ中央駅から地下鉄でほんの数駅行くと、ゆったりした郊外の風景が広がってきます。チェコ建国伝説の地とも言われ、ボヘミア(現在のチェコ共和国の西部に当たる)の人々の魂のふるさとのような存在と言えるヴィシェフラドの城跡には、この聖ペテロ聖パウロ教会に隣接して民族墓地があり、ドヴォルジャーク(現地の発音では「ドヴォジャーク」に近い音)もここに眠っています。一帯は広い公園や住宅地として整えられていますが、冬は雪に閉ざされるのだろうと想像すると、その素敵な景観もつかの間の快適な季節の華やぎなのかもしれません。
生涯自然を愛し家族を大事にしたドヴォルジャーク。晩年は都会を離れ、ヴィソカー(
ヴィソカー・ウ・プシーブラムニェ Vysoká U Příbramě : プラハから南西約50キロにある小さな村)の小高い丘にある別荘で過ごし、「ルサルカ」もその地で書いたと言われています。欧州各地ではおなじみの水の精伝説をモチーフとしているこのオペラ。今も変わらないボヘミアの空にかかる月に、ドヴォルジャークも心をゆだねていたのでしょう。(2025.3.7)
 


ヴィシェフラド城跡の聖ペテロ聖パウロ教会 Katedrála svatého Petra a Pavla; Sep. 2024

フィールド・ワーク (国内編)  In Japan

ゆりかごの歌  信州 松代(長野市)

Yurikago no Uta (A Cradlesong)  Shinshu Matsushiro (Nagano city)
Composed by S.Kusakawa/ Arranged by A.Nanase (MOS No.29) 4Flutes

四月中旬、満開の杏の花。
清く透き通った霊性の高さと、おだやかな色合い。
丘を登るにつれ、五分咲き、三分咲きと変化するのもいい。
たくさんの童謡作家を生んだ町松代に、春を寿ぐ花。
西洋音楽を必死で吸収した時代に生まれた、
日本初のララバイ(注)「ゆりかごの歌」の作曲者 草川信は、ここで育った。
この稀代の旋律作家の心象風景、その音楽の底流にはいつも、
きっとこんな信州のすがすがしい春を抱いていたのだろう。
(『ろここ通信』No.79 2006年 より) 

(注)明るく絵画的なこの曲は、西洋のララバイ(cradlesong)を意識したのか(和製ララバイ?)、日本の伝統的な子守歌の持つ奉公人(子守)の嘆きの世界とは一線を画しています。(ムラマツ・オリジナル・シリーズNo.29「はじめに」より) 


ブラフの丘から   横浜 山手 (神奈川県)  

From the Bluff  Yokohama Yamate (Kanagawa Pref.)
Composed by A.Nanase (MOS No.41) 3Flutes 

古き良き横浜を感じることができる散歩道といえば、ここ山手地区でしょう。何代にもわたって住み続けている外国人の多いエリアらしく、洋館や教会が点在する風景は、とてもエキゾチック。ブラフとは、海に面した断崖といった意味ですが、横浜が1859年に開港して、まもなく日本も鎖国を解き、この山手地区に外国人がたくさん住み始めた頃、その地形からこの地域を「ブラフ」と呼んでいました。今とは違って、外国に行くのは、時に命がけの時代。異国に一度住んだら、二度と祖国には戻れないかもしれないという覚悟を伴ったことは、容易に想像できます。よく知られている「外国人墓地」では、そんな異国で没した人々の望郷の思いに応えるべく、墓碑は海に向けて立てられているとのこと。何だか切なくて、そっと話しかけたくなります。「日本はいいところでしたか?横浜を気に入ってくれましたか?たくさん素敵な文化を教えて下さって、ありがとう…」 
三日住めばハマっ子という言葉があります。横浜の人々独特の人懐こさや、距離感上手とでもいうべき人付き合いの洗練されたセンスは、多種多様の人々を受け入れて共存してきた、港町独特の気風なのかもしれません。私も横浜に来た頃、この気風に心を動かされ、この「ブラフの丘から」を書きました(’94年、初演はクラリネット2本とピアノ)。ハマっ子気質、古き良き日本のグローバリズムということでしょうか。(2009年、開港150周年を機に、このフルート三重奏版も。)  (2015.2.19)

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松代の杏畑 2006.4
山手のイギリス館から港の見える丘公園付近。
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